境内マップ
龍谷寺本堂
【龍谷寺本尊・釈迦牟尼佛】
お釈迦様はシッタルタ王子です。
今から二千五百年位前のインドの国で生まれたお釈迦様は二十九歳の時カピラのお城を後にして出家求道の旅に出ました。
三十五歳の時、菩提樹の木の下でおさとりをひらき、八十歳で亡くなるまでの四十五年間おしえを皆にひろめました。
インドから中国韓国を通って日本へ伝わりました。
山門(鐘楼門・仁王門)
龍谷寺の鐘楼は、第二次世界大戦中に供出してしまい、長い間鐘楼のない時が続きました。
昭和60年に龍谷三十六世成田芳髄大和尚は、山容整備事業を発願し、その一環として鐘楼を整備し、山門を二層にして鐘楼門としました。
鐘楼門の二層からは、広く日進市内を見おろすことができます。
鐘楼門の天井には、龍谷三十六世成田芳髄大和尚の書、「延命十句観音経」が残されています。
この鐘を聞くことで、多くの人の心にやすらぎを感じるように願って作られました。
入口の廉には「信を求めてこの門に入る」「心安んじてこの門を出る」との龍谷三十六世成田芳髄大和尚の書が掲げてあります。
一度、山門をゆっくりご覧ください。
【仁王様】那羅延金剛力士・密迹金剛力士
山門の両側に立っている仁王様は、右側が那羅延金剛力士(まらえんこんごうりきし)、左側が密迹金剛力士(みつしゃくこんごうりきし)と言います。
昭和60年の山容整備事業の一環として建立されました。
仁王様は、お釈迦様と伽藍の守護神です。
門衛のように2体置かれるところから、二王とも書きます。
通常右が口を開けた阿形(あぎょう)像、左が口を縮めた吽形(うんぎょう)像です。
阿吽(あうん)の阿(あ)は、口を開くとき最初に出てくる音で始まりを表わし、吽(うん)は口を閉じた最後で終わりを表わします。
この二字で、すべての事柄の成り立ちを集約する考え方です。仁王様が常にこの寺を守護してくれています。
茶室「心月庵」
茶室「心月庵」は、龍谷寺36世得道芳髄大和尚が昭和54年8月に建築された茶室です。
建築当初は、大楠(くすのき)の木の下に建てられましたが、後に現在の場所へ移築しました。
本来茶室は、大客殿に使用できない木材や古い建物を壊した木材などで建築されるそうですが、この「心月庵」は、豊田市の正林寺庫裏を壊したときに頂いた「すす竹」を利用しています。
また入り口天丼には、龍谷寺36世得道芳髄大和尚が自ら書いた般若心経の書があり、心を込めて心月庵を建築したことが感じられます。
手前座横の壁は、銅板の亀甲張りとなっており、当時の職人の技術の高さがしのばれます。
現在、週に一度、表千家の茶道のけい古が行われており、年に一度桜の咲く4月には、得道芳髄大和尚をしのんで「芳桜茶会」が催されています。
観音堂
【如意輪観世音菩薩】
この観音堂は、「城東西国三十三観音三番札所」となっており、「如意輪観世音菩薩」がお祀りしてあります。
名古屋城を中心にして東の地域にある三十三ヶ寺の観音様の三番目の札所となっています。
「城東西国三十三観音」は、北は瀬戸の定光寺から名古屋市内及び旧愛知郡などにわたっています。
旅行というと今では、おいしいものを食べ、いろんな体験をすることに重きが置かれていますが、昔のお参りは、日常生活を離れ、心は念じることで整えられ、歩いて巡ったことから運動にもなり、また、珍しい景色と食べ物にも巡りあうという、心身の「いやし」になるものだったと思われます。
このお堂は、昭和六一年十二月に龍谷寺山容整備事業の一環として建てられました。
中には一刀彫りの観音様や西国坂東秩父百観音の朱印、藤島弘法様も一緒にお祀りしてあります。
ご詠歌は、「みほとけのめぐみもふかき ふじしまの くもおくやまに むすぶゆかりは」です。
【賓頭廬(びんずる)尊者】
お釈迦様の弟子、十六羅漢の一人で神通力(超能力に似た力)が大変強い方でした。
俗に「撫(なで)仏」といわれ病人が自ら患部と同じところを触れることでその神通力にあやかり、治していただくという信仰があります。
三十三観音堂
【三十三観音】
この龍谷三十三観音は文化十三年(一八一六)に造られ、前々年の大干害そして前年の東海大風水害からのがれて観音信仰によって病苦をのぞき幸福になる事を念じ災害悪疫にたおれた身内の菩提を弔うために祀られました。
【七福善神・十二支】
七福神とは、福をもたらすとして、日本で信仰されている七柱の神です。
一般には、大黒天(だいこくてん)・恵比寿(えびす)・毘沙門天(びしゃもんてん)・弁財天(べんざいてん)・福禄寿(ふくろくじゅ)・寿老人(じゅろうじん)・布袋(ほてい)の七柱の神とされ、もともと個別に福神として信仰を集めてきましたが、七福神になったのは、仁王般若経の「七難即滅、七福即生」に基づくなどの諸説や画題の竹林の七賢人になぞらえたのがはじまりといわれ、室町時代初期に生まれました。
干支は今から三千年位前に中国で作られた時刻や方角を表すシステムで日本には仏教伝来の頃に伝わりました。
十二支は、子・丑・寅・卯・辰・巳・馬・未・申・酉・戌・亥で自分の生まれた年の動物への信仰や、その年の干支への信仰が生まれました。
八角堂
【龍谷道了様】
この八角堂は昭和60年(1985年)10月に龍谷寺三十六世 成田芳髄大和尚の一寄進として建立されました。
中にはからす天狗の姿をした道了様がお祀りしてあり、家内安全・心願成就・商売繁盛のご利益があります。
龍谷観音
龍谷観音は平成13年秋に建立されました。
身の丈2.3メートル。道了様の前に立ち、参拝にこられた方々へ、慈悲のほほえみを常に施されています。
春は桜の花に包まれ華やかな「微笑み」となり夏は緑に囲まれて生気あふれ、秋は紅葉のなかで落ち着いた表情となり、冬は雪が積もると柔和な優しさの中に、凛とした表情が感じられます。
見る人それぞれの心によっていろいろな表情を見せてくださる「龍谷観音」様です。
水子観音
この水子観音は昭和63年4月に龍谷寺檀徒によって寄進されました。
この世に生を受けることなく、世を去った命が観音様の慈悲の心で仏になるように祈ります。
周りにある小さな水子地蔵は、各々の方々が寄進されたものです。
道路に一番近い所にお立ちになっている水子観音様は、いつでもどなたでもお参りすることができるよう、配慮されています。
福聚観音
福聚観音は、昭和61年の山容整備事業の一環として建立されました。
当時はまだ珍しかったセラミック製で、東京金花舎の加藤子明氏によって寄進されました。
普通、仏さまは寺の奥の建物の中にお奉りされますが、龍谷三十六世成田芳髄大和尚は、あえて道からすぐの位置に建て、すべての人々に仏さまの徳を施すことが出来るように配慮しました。
春は桜の花に囲まれ、見上げるお姿は、すべての人に慈愛の心を与えてくれます。
「福聚(ふくじゅ)」と読みますが、「しあわせ観音」とも呼ばれています。
心の願いを祈ることで、心の安心と幸せをお与えくださる福聚観音さまです。
十一面観音堂
【十一面観音】
頭の上に十一の顔があり、人間の苦しみをなくし、十の利益(病気にかからない、食物に不自由しない、一切の如来に受け入れられる、虫の毒にあたらず、発熱などがひどく出ない、凶器によって害を受けない溺死しない、焼死しない、不慮の事故で死なない、国王や王子から慰労してくれる)の利益があるといわれています。
【知恵の文殊菩薩(もんじゅぼさつ)】
「3人寄れば、文殊の知恵」と言われているように、文殊菩薩は、釈迦の悟り(知恵)を表します。
龍谷寺の文殊菩薩は、龍谷寺紫雲臺の庭に鎮座されていましたが、昭和62年の龍谷寺整備計画の時に、お堂を建てて、今の場所に祀られました。
以前、檀家の子どもさんが受験の時、お母さんが来寺され、「受験の時にお参りする仏様はどこでしょうか?」と聞かれました。文殊菩薩にご案内し、合格祈願をされ、無事志望校に合格されました。以来、何人かの方が合格祈願をされ、皆成就されています。
お堂は小さくても、心を込めて祈れば、ご利益(りやく)を下さる文殊菩薩さまです。
戦没者のお墓
1945年に終戦を迎えた太平洋戦争で戦士された龍谷寺にご縁のある方々のお墓です。
中には龍谷寺の僧侶であった、増田牧雄和尚様のお墓もあります。
今でも縁故者の方がお参りされ、美しいお花が供えられています。
この方々の命の上に今の日本の暮らしがあることを忘れてはなりません。
子安観音
日東保育園の園児が毎日朝夕に祀りをしている子安観音様です。
子ども達のすこやかな成長と各家庭の幸せをお守りくださっています。
13.庫裏
「庫裏」とは、寺の台所、そして住職やその家族の居間という意味です。
龍谷寺庫裏は、平成9年3月に萩野建設によって建設されました。
平成9年3月に龍谷寺三十八世法覚隆真大和尚の晋山が行われ、その際に落慶法要が行われました。
面積は640uで大屋根が特長です。中央の掘り抜き井戸の中庭は吹き抜けになっています。
50畳の新客殿には道元禅師と慧山禅師の修行の様子を描いた屏風が置かれています。
襖は小原和紙作家山内一生氏により製作されています。
三十六世大環正應禅師は、同年12月17日に新庫裏の廊下を歩き、「よかったな」とつぶやき、長年懸案だった新庫裏の完成を心から喜んでいました。
大玄関には、楠の一刀彫の大黒様と布袋様が皆様をお迎えいたします。
14.旧玄関
この建物は昭和51年、山容整備として建設されました。
正面入口は、破風(はふ)になっており、「愛山敬賓(あいざんけいひん。お客様を大切にする)」の気持ちが感じられます。
1階天井は「蜘蛛(くも)の巣天井」、2階の天井は「蛇(じゃ)の目天井」と「格(ごう)天井」になっています。
2階の部屋は夜になると東から月が昇り、正面を巡って西に沈むことから「観月(かんげつ)の間」と呼ばれています。現在は、寺で法事を行う方の茶所となっています。
2階の窓からは日進市が一望でき、四季折々の美しい景色を眺めることができます。
また、奥に進むと「紫雲臺(しうんたい)」の客殿があります。これは戒会(かいえ・寺の行事)の時に、禅師様がお入りになる客殿となっています。